M・I・Z・U・K・O・K・U・Y・O・U  怖い話

水子供養とは、自然流産・人工流産(人工妊娠中絶)・死産した胎児を「水子(ミズコ・ミズゴ)」と呼び、その霊を祀る死者供養のひとつです。
 水子供養の歴史というものは、それほど古いものではなく、1970年代頃から全国的に広まりました。水子は、かつては生まれてすぐに亡くなった赤子を指すこともありました。ただ、現在では流産や中絶、死産によって産まれることのかなわなかった胎児を指すのが一般的になっているようです。

“水子”という語源は、流産することを「水になる」、堕胎することを「水にする」といったことから来ていると言われています。水子とは母胎に宿りながらも、生まれる出ることが出来なかった子供の魂を意味しているようです。 日本では古来から、水子のすみやかな再生を願って供養が行われてきました。

この世に 産まれてこなかったとはいえ、母親にとって、自分自身の体内にいたことを実感した小さな小さな命。
何らかの形で供養してあげたいと思う気持ちは、誰もが感じることでしょう。


今回は、怖い話とは、ちょっとかけ離れた内容となっています。苦手な方は、読まないようにお願いします。

--水子供養--  KOWAI KOWAI*

 こんなことは、人に話すべきではないと思いますが、私には、水子が何人かいます。
最初は、経済的な問題として、一人目が生まれて、1年を過ぎたあたりだったでしょうか?気がついたら、妊娠していたのです。一人目を産んだばかりで、夫もまだまだ、仕事が安定しておらず、両親の家に同居してたこともあり、やむなく中絶という選択をしました。

 当日は、小さな息子を夫に預け、病院へ。麻酔がかかってから、あっという間の出来事でした。 麻酔から目が覚めた私は、涙を流していたのです。私の中に、宿った小さな命。親の身勝手で、中絶をしてしまった。そう考えると、この場に 居ても立ってもいられず、足取りがフラフラしながらも、病院を出たのでした。申し訳なくて、悲しくて。

それから、4年が経ったでしょうか?
転勤族だったけれど、それなりの生活。裕福とは言えないけれど、楽しい毎日。そんな中、また新たに小さな命が宿りました。
 妊娠がわかった時、とても幸せでした。
「今度は、産める!」
そう信じていました。


しかし、数週間も経たずして、流産。
ショックでたまりませんでした。
もしかしたら、1度中絶したことが原因で、妊娠できないのかもしれないとさえ思いました。
中絶すると、妊娠しにくくなるとか、妊娠できなくなる可能性が高いなどと言われていたからです。

それから、数ヶ月経ち、再び 妊娠。
「今度こそ 大丈夫」そう自分に言い聞かせた。
 しかし、同じく、数週間もせず、流産。
病院で先生に言われた言葉
「習慣性流産の可能性が高いですね」って。
先生は、簡単に言うけれど、
「それって何?」
「習慣性って・・・ちゃんとした妊娠できないってこと??」
不安だらけでした。

その後・・・妊娠するということが、怖くなりました。
でも、子供は欲しい。
自分の心と身体は、真逆。
 そして、また 妊娠。
 今までよりも慎重に、毎日ハードにこなしていたことも、少しづつ・・・
やっと 4ヶ月くらいに入った頃でしょうか?
今までは、1ヶ月前後で流産していたので、大丈夫だと判断したのです。
母子手帳ももらって、生まれてくるのを楽しみにしていました。

しかし・・・・また 流産。
しかも・・・私の中から、大量の出血と共に、落ちてくる胎児を見てしまいました。
その後病院へと急ぎましたが、すでに胎児は流れた後。現在のように水洗トイレではないため・・・落ちてくる胎児をどうすることもできなかったのです。
そのまま、緊急入院。今までの流産とは違い、体力を消耗し、自宅に帰ることが困難なため、1日入院。
誰もいない病室で、泣きわめいてました。
その後、帰宅してからも、息子が保育園に行ってる間、大泣き。食欲もなく、身体がフラフラするまで、何も食べられない日が続きました。

そんな中、4歳になる息子が一生懸命に慰めてくれるのを見て、泣いてばかりいられないって、私には、この子がいる。だから、がんばらなくちゃ。そう思って少しづつ回復してったのです。

たった半年の間で、3度の流産。
 でも、その後 一人目を産んで5年目にして、授かった命は、流産しかけたり、早産しかけたりしつつも 無事 出産。

二人目を産んでからの10年の間、3人かな・・・?
流産しやすいみたいです。二人目を生む時に、前置胎盤だと言われました。流産や中絶を繰り返すとなりやすいそうで、前置胎盤になると、母子ともに危険な状態になりやすいそうです。体の中に、流産したことによる、障害みたいなものができるってことなのです。

そんな中・・・私自身は、流れてしまった子供、水子に対して、塩をふって、手を合わせることをするようになりました。
流産してしまった 子供達のほとんどが、トイレで流れてしまっていることもあって、トイレに塩をふり、手を合わせる。
何もしないよりも、何かしないと落ち着かないからこそ、自己流の水子供養でしたが。

水子に対して、思うことは、いつも同じ。
「産んであげられなくて、ごめんなさい。」
「あなたの分まで、子供達を幸せにするから」って
もう1度産んであげられることがあれば、産んであげたいんだけどね。

そんなことを思いつつ・・・それから、5年以上経った頃のことです。
自宅に泊まりに来ていた友人達が、不思議なことを言うのです。
「真夜中に、娘よりも小さな子供が、廊下にいたのを見た」と。
それは、5歳になる娘ではないみたいなのです。
 しかし、私には、まったく わからないのです。
同じように、遊びにきて、泊まっていった友人が、「廊下に子供がいたのを見たけど?」と。

実は、5年前・・・3人目を妊娠したのですが、5ヶ月くらいに、流産したのです。
当時、妹も同じく妊娠していたのですが、私の子供だけが流れてしまったのです。
妹の子供は、無事出産し、それこそ5歳。
 私には見えないけれど・・・その時の水子ではないか??と思うようになりました。

忘れてはいけないことがある。
それから、気がつくと、廊下で手を合わせるようになりました。
「ちゃんと供養してあげられなくて ごめんね」と。

そして、去年のことです。もう、2人目を産んでから9年目でしたが、小さな命が宿ったんです。
子育ても落ち着いて、子供2人で十分だって思ってたのに、
「産んであげたい」と思ったんです。
不思議ですよね。これが最後のチャンスなら、生まなくちゃいけないって。
そして、私のお腹に宿ったのは、ずっと、そばに居続けてくれた、あの子に違いないって。

2人目の時は、妊娠も出産も 母子ともに危険な状態だったはずなのに、今回は、不思議と何もかもが順調。
「生まれてきたい」って気持ちが大きいのかな?と。
 そして 今年・・・・無事出産しました。

水子を供養するってことは、とても大事なことなんです。
顔も見えないし、姿を見ることは、困難なくらい、とっても小さな命です。
でも、それは、あなた達を親として選んで、あなたのお腹に宿った命なのです。

水子になったら、せめて、手を合わせてください。
子供が欲しいと思っている方々の元へ 生まれますようにと。




子供には見える

小さな子供は、いろんなものが見えると言います。いろんなものとは何か?
それは、先祖の霊だったり、なくなってしまった、祖父母だったり、もともと飼われていたペットだったり。
よく、甥っ子が、壁に向かって微笑みかけたり、笑ったり、目で追いかけたりすることがありました。
「何を見ているの?」と聞くと
顔も知らないはずなのに、おばあちゃんがいたと話したり。
私たちには、見えないものが、色々と見えるのかもしれないなって、感じることがあります。
じっくり観察してみてください。